Sunday, December 27, 2009

嫉妬

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入門経済思想史
世俗の思想家たち
R・L・ハイルブローナー
 それというのも、工場に対する感嘆と恐怖の混じり合った感情以外に人々の心を惹きつける問題があったとすれば、それはこのどこにでも見られた稼ぎのない貧民の問題だったからである。1720年にはイギリスに、150万人ものこうした人々がひしめき合っていた。当時の全人口がわずか1,200万ないしは1,300万であったことを思えば、これは驚くべき数字である。したがって、当時は彼らをどう処置するかという計画がいろいろとあった(その大部分は、望みのない計画だったが)。というのは、当時一般に行きわたっていた不満は、貧民の怠惰は根絶しがたいというものであり、しかもこの不満には、下層階級が上流階級の習慣をまねることへの驚愕が含まれていた。現に、労働者は紅茶を飲んでいたし、庶民は昔からのライ麦や大麦のパンよりも、小麦のパンを好んでいたようである。こんなことではどうなるのだろうと、時の思想家たちはいぶかった。貧民の窮乏は(あの口の悪いマンデヴィルが1723年に「それを緩和するのは賢明だが、廃絶するのは愚行であろう」と述べたように)、国家の繁栄のために必要不可欠ではないのか、と。また、社会に不可欠な等級づけの消滅を認めるならば、社会はいったいどうなるのだろうか、と。
 「下層階級」についての危惧される大問題に対する時代の一般的な態度が驚愕だったにせよ、それがアダム・スミスの哲学を表すものでなかったことは確かである。「あまりに多くの者が貧しくみじめな社会が、繁栄したり幸福であるはずはない」と、彼は書いた。しかも彼は、このような急進的な声明を出すほどの無鉄砲さを備えていただけでなく、社会は実際に絶えず進歩しており、否応なしにある明確な目標に向かっていることを証明しようとした。社会が動くのは、だれかがそのことを意図したからでもなければ、議会が法案を通過させたからでもないし、イギリスが戦争に勝ったからでもなかった。ものごとの底流に、社会全体に力を与える巨大なエンジンのような原動力が隠されているから、社会は動くのだ、と。
[p.p. 95]

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