Sunday, March 20, 2011

でも増税はできます。

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日本人とは何か。
山本七平
そして日本の場合も、和銅元年(708年)から約250年間、政府がいかに努力しても貨幣は定着せず、永延元年(987年)一条天皇が銭貨の通用の促進を命じながら、一面ではその通用を限定し、仏事にだけ全面的に使ってよいとしたときに、長い貨幣定着の努力は失敗に終わった。そして准米・准布・准帛(ぱく)とよばれる生産物が納税および交換手段に用いられた。これらは一種の物品貨幣と見てよいだろう。
 昔からお役人とは保守的なもので、一度きめたことは変えたがらない。経済は徐々に発展し、貨幣を導入すべき状態になっても、貨幣経済に移行しようとしない。これは准米・准布の公定価格を定めた万物沽価(こか)法を混乱させるという理由であったらしいが、もう一つには材料の酸化銅を掘り尽くして、銅銭鋳造の原料がなくなったことにもあった。
 後述するが、かつて世界三銅産国の一つといわれた日本も、その鉱石の殆どすべて硫黄と結合した硫化銅であり、これの精錬技術が当時はまだ開発されていなかったからである。こういう状態だとお役人はあらゆる「できない条件」を並べ立てて不思議でない。もしこの状態がそのまま継続したら、日本の経済はそのまま停滞したかも知れぬ。

[pp. 309]