図書館で借りた本。アマゾンにはないみたいなので原書をリンク。
Q 抽象概念をいつも軽蔑なさっているようですが、どうしてですか?
A 名詞はほとんど記号ですね。「椅子」という言葉は単なる記号にすぎず、座るときに使う何百というさまざまの家具のどれかを指しているわけではありません。しかも「椅子」という概念には具体的なものがなにも含まれてはいませんから、それは一つの抽象です。言葉は、主としてあるいはもっぱらコミュニケーションの道具だと認めるかぎりでは、抽象にはなにも悪いところはありません。
たとえば、「定位」とか「無意識」という言葉が考えつかれたとき、それらの言葉はある概念の詳細な説明を短縮し要約するために使われました。しかしながら、ときが経ってしだいに使い慣れてくると、言葉は物に、実在するなにかに変わってきます。「無意識」という言葉は、すでにずっと前からある複合したものを表現しなくなり、一つの物になっています。あなたがなにかを考えたり話したりするとき、それはだれがそうしているのでしょうか? あなたでしょうか、それともあなたの無意識でしょうか? 簡単には答えられません。「あなた」という抽象と「無意識」という抽象のさまざまの違いを明らかにする丹念な作業が必要になります。
だれでも抽象概念を使いますが、「方向」感覚や「平衡」感覚が損なわれたときにどうしたらいいかとなると、途方に暮れてしまいます。運動失調症に陥っている人の平衡感覚を回復するにはどうすればいいのでしょう? 平衡感覚というものは、運動失調症そのものに内在しているのでも、欠落しているのでもありません。その場合には、そもそも最初に運動失調症と平衡感覚という抽象概念の元になった詳しい内容を知ることがもっと具体的になることに役立ちます。要するに、抽象概念は思考を怠惰にし、混乱させるだけです。
モーシェ・フェルデンクライス『脳の迷路の冒険 フェルデンクライスの治療の実際』[p.141-142]
Q あなたは全ての抽象概念を人間的事象に関係した抽象概念と同じような態度で見ているのですか?
A そうです。「速度」の例を取り上げましょう。あなたは速度を増やしたり減らしたりできますか? 速度の方向づけというような抽象概念はどうにも扱いようがありません。一体なんの速度を変えるのかを知らなくてはなりません。自転車や自動車の速度を変えることはできますが、光の速度を変えることはできないし、地球や太陽の回転を速めることは不可能です。同様に、概念の方向づけを変えるなんてことは、だれを方向づけるのか、正確にどういう欠点があるのか知らないかぎり、だれにもできません。三半規管に欠陥があるかもしれません。神経系へのフィードバック機能になんらかの欠陥があるかもしれませんし、もっと他のものに欠陥があるかもしれません。使い慣れた言葉は、しばしばひとりよがりに陥れるもので、そういう場合には建設的な思考が妨げられます。
同書[p.143-144]