そして日本の場合も、和銅元年(708年)から約250年間、政府がいかに努力しても貨幣は定着せず、永延元年(987年)一条天皇が銭貨の通用の促進を命じながら、一面ではその通用を限定し、仏事にだけ全面的に使ってよいとしたときに、長い貨幣定着の努力は失敗に終わった。そして准米・准布・准帛(ぱく)とよばれる生産物が納税および交換手段に用いられた。これらは一種の物品貨幣と見てよいだろう。
日本人とは何か。
山本七平
昔からお役人とは保守的なもので、一度きめたことは変えたがらない。経済は徐々に発展し、貨幣を導入すべき状態になっても、貨幣経済に移行しようとしない。これは准米・准布の公定価格を定めた万物沽価(こか)法を混乱させるという理由であったらしいが、もう一つには材料の酸化銅を掘り尽くして、銅銭鋳造の原料がなくなったことにもあった。
後述するが、かつて世界三銅産国の一つといわれた日本も、その鉱石の殆どすべて硫黄と結合した硫化銅であり、これの精錬技術が当時はまだ開発されていなかったからである。こういう状態だとお役人はあらゆる「できない条件」を並べ立てて不思議でない。もしこの状態がそのまま継続したら、日本の経済はそのまま停滞したかも知れぬ。
[pp. 309]
Sunday, March 20, 2011
でも増税はできます。
Monday, July 5, 2010
秘密の道具
コンサルタントの秘密
G・M・ワインバーグ
利口でありたい、成功したいと望み、そのために賭けに負けてばか面を晒す人間は、私一人ではないだろう。いつも正当でありたいと望んでいると、自分の思考過程に何が欠けているか気づくことが格別困難になる。だがジュディーとの不面目な賭けに負けて私は、自分の「何が欠けているか」を見つける技法の持ち合わせをふやさなければ、そして中でも自分自身の思考に関するものをたくさん見つけなければ、と思うようになった。
ソフトウェア設計家との仕事を通じて私は、欠けているものを見つけ出すためのそういった道具をすでに発見していた。ソフトウェア設計過程をチェックするためのやりかたとして、著者たちは次の「三の法則」を教えている。
自分の計画を駄目にする原因が三つ考えられないようなら、思考過程の方に何か問題がある。
Saturday, May 1, 2010
有為転変
50代前半の白楽天の詩について。
境遇は己と関わらぬところで決められるものであり、いかなる場に置かれても内面の静謐を保つ、という態度は中国士大夫の求めたところであり、白楽天もそんな思いをたびたびうたってはきた。しかしそれらの詩篇とこの詩は感触が異なる。自分の心を平静に保とうと努める様子はなく、諦観にも似た感慨を漏らしている。いや、ここにあるのは諦観とか達観とかいうより、自分の置かれた状況にしらけてしまった無気力といった方がいい。中書舎人という職、このまま官界を歩んでいけば宰相にも手が届く地位。が、そんな野心はまるでないかのようだ。どうなろうとなりゆきまかせ、自分は自分の人生を操ることから手を引いてしまおう、と言っているかに見える。
白楽天
官と隠のはざまで
川合康三
[pp.173]
Friday, April 2, 2010
法学部出身者が一番エライ国の経済政策
宮崎 あのですね、経済政策に直接的、間接的に影響を与えうるのは経済の専門家ばかりじゃないのです。例えば経済学の近接領域である政治学者の影響力もバカにならない。
日本経済復活
一番かんたんな方法
勝間和代
宮崎哲弥
飯田泰之
しかし、ここが一番ひどい状態なんです。例えば有斐閣のアルマというテキストシリーズの一冊に『比較政治制度論』があります。2008年の秋に上梓された本ですが、この9章で「中央銀行制度」が取り上げられているのですが、これがひどい!
「長期的な経済成長のためにはインフレ抑制が重要」とか、「中央銀行の独立性が弱いとインフレ率が上昇しがち」とか、「左派政権は労働者の雇用を守るためにインフレを甘受する傾向がある」などと堂々と記述されているうえに、徹頭徹尾、中央銀行の独立性=善、政治家の金融政策への介入=悪、インフレ抑制=善、金融緩和=悪というバイアスによって貫かれている。すごいのは、この章、インフレという語が頻出しているのに、デフレという言葉は一度も出てこないのです!
著者は建林正彦、曽我謙悟、待島聡史という勝間さんとほぼ同世代の、東大、京大の法学部出身の政治学者で、それぞれ一流大学の教授、准教授です。エリート研究者のレヴェルがこれですもん。あとは推して知るべし。[pp.173]
Thursday, January 14, 2010
偉い人の反対は偉そうな人
これは人間の心情としては当然だろう。天動説の専門家であればあるほど、天動説から地動説に切り替えるタイミングがないのだ。考えてもみて欲しい。昨日まで「地球が中心にあってその周りを太陽が回っているのだ。地球が動くと考えるのは神の御心にそむくものだ」と教えていたわけである。それがいきなり手のひらを返したように「太陽が中心にあって地球はその周りを回っている」と言えるだろうか。
傷はぜったい
消毒するな
夏井睦
弟子たちは「あなたが昨日まで私たちに教えてくれたことと正反対ではないか。あなたは私たちに嘘を教えてきたというのか。嘘を教えてきたあなたは責任を取るべきだ」と詰め寄ってくるはずだ。仮にも人から先生、専門家と敬われてきたのであれば、自説の撤回はなおさら難しいだろう。天動説こそが彼の拠って立つ基盤であり、それを自ら否定するのは自殺行為に等しい。だから天動説の信奉者が地動説に鞍替することはほぼ絶対にない。
夏井睦『傷はぜったい消毒するな 生態系としての皮膚の科学』[p.p 161]
Sunday, December 27, 2009
金融屋さんの話を聞くときには
derivative : 名詞 : 引き出された物、派生物
金融マンはデリバティブについて語るとき、好んで複雑な専門用語を使おうとする。複雑さはデリバティブの世界の不透明感を高めることにつながり、それは彼らにとって好都合なのだ。不透明であれば監視の対象になりにくく、秘密のベールを突き破る能力を持った少数の人々が権力を手にする。だがデリバティブは現代ではきわめて複雑化したとはいえ、実際には金融の概念そのものと同じくらい長い歴史がある。
愚者の黄金
大暴走を生んだ
金融技術
ジリアン・テット
デリバティブはその名が示唆するとおり、基本的には債権、株式、一定量の金といった他の資産から価値が派生する契約に過ぎない。重要なポイントは買い手も売り手もそれぞれ対象となる資産の将来価値について賭をしているということだ。デリバティブは投資家に対して、たとえば将来の望ましくない価格変動といったものから身を守る手段、もしくは巨額な収益につながる可能性のあるハイリスクな賭をするための手段を提供する。取引の中心となるのは、時間を巡る勝負である。
[p.p. 27]
嫉妬
それというのも、工場に対する感嘆と恐怖の混じり合った感情以外に人々の心を惹きつける問題があったとすれば、それはこのどこにでも見られた稼ぎのない貧民の問題だったからである。1720年にはイギリスに、150万人ものこうした人々がひしめき合っていた。当時の全人口がわずか1,200万ないしは1,300万であったことを思えば、これは驚くべき数字である。したがって、当時は彼らをどう処置するかという計画がいろいろとあった(その大部分は、望みのない計画だったが)。というのは、当時一般に行きわたっていた不満は、貧民の怠惰は根絶しがたいというものであり、しかもこの不満には、下層階級が上流階級の習慣をまねることへの驚愕が含まれていた。現に、労働者は紅茶を飲んでいたし、庶民は昔からのライ麦や大麦のパンよりも、小麦のパンを好んでいたようである。こんなことではどうなるのだろうと、時の思想家たちはいぶかった。貧民の窮乏は(あの口の悪いマンデヴィルが1723年に「それを緩和するのは賢明だが、廃絶するのは愚行であろう」と述べたように)、国家の繁栄のために必要不可欠ではないのか、と。また、社会に不可欠な等級づけの消滅を認めるならば、社会はいったいどうなるのだろうか、と。
入門経済思想史
世俗の思想家たち
R・L・ハイルブローナー
「下層階級」についての危惧される大問題に対する時代の一般的な態度が驚愕だったにせよ、それがアダム・スミスの哲学を表すものでなかったことは確かである。「あまりに多くの者が貧しくみじめな社会が、繁栄したり幸福であるはずはない」と、彼は書いた。しかも彼は、このような急進的な声明を出すほどの無鉄砲さを備えていただけでなく、社会は実際に絶えず進歩しており、否応なしにある明確な目標に向かっていることを証明しようとした。社会が動くのは、だれかがそのことを意図したからでもなければ、議会が法案を通過させたからでもないし、イギリスが戦争に勝ったからでもなかった。ものごとの底流に、社会全体に力を与える巨大なエンジンのような原動力が隠されているから、社会は動くのだ、と。
[p.p. 95]
Wednesday, September 23, 2009
統計の数字で丸め込まれそうになったら
数字と数字の間の相関関係は、もちろん、高い確率で何らかの因果関係がその背後にあることを予想させます。ただ、断言はできない。全くの偶然である可能性さえ、少しは残っている。したがって、相関関係は「ここが怪しいぞ」という印でしかない。
社会学入門
稲葉振一郎
では、因果関係自体はどうやって発見するのでしょうか? 実は、因果関係を統計数字だけから直接発見する方法はありません。因果関係はわれわれが考えて、推測するしかないのです。相関関係の背後にどのようなメカニズムが働いているのかを考える、それが普通の意味での科学的な理論です。
Tuesday, September 22, 2009
妙な迫力で説得されそうになったら
強調は原文ママです。
ちなみに、クリティカルシンキングの議論のテクニックの一つとして「誤った二分法」(false dichotomy)を避ける、というものがある。誤った二分法とは、複雑な状況をAかBかというかたちで単純化して、AではないからBだ、と結論する過ちである。人間をすべて敵と味方に二分して、「お前は味方ではないから敵だ」というような判断をするのはこれにあたる。こういう過ちについて知っておくと、相手の議論につい説得されそうになったときに「まてよ」といって考えなおすのに役に立つ。
哲学思考トレーニング
伊勢田哲治
Monday, September 21, 2009
不安の官僚的事情
次に第二段階の白書について、犯罪状況を悪く見せる操作がおこなわれているかどうか見ておこう。犯罪白書、警察白書、いずれも統計数値に妙な操作を加えることはない。単純な意味でウソはない。しかし、全体としてウソの印象を与えるおそれがある記述に満ちている。細かい個所を指摘するまでもなく、創刊以降、一貫して、犯罪情勢の悪化に懸念を示す記述ばかりが目に付く。戦後の混乱期を抜けた後、犯罪情勢は大幅に改善されたが、その間もずっと、犯罪は増加しているかのようなトーンで書かれている。むろん、数値を偽っていないので、数値を解釈すれば勘違いを避けられるが、これは専門家が大きな努力を割いた場合に限られる。最近めだった例をあげれば、来日外国人犯罪に対する懸念である。実は、来日外国人を除く、その他の外国人犯罪、つまり、いわゆる在日○○人の検挙人員は激減、ここ二十年で約半減している。増加している部分だけを取り上げ、外国人犯罪全体が増加しているという誤った印象を与えている。窃盗手口、凶悪犯の手口についても、増加したものを取り上げては懸念を表明し、減少しているものにはほとんど触れていない。
安全神話崩壊の
パラドックス
治安の法社会学
河合幹雄
懸念材料だけを取り上げる理由は、やはり予算請求が、これまでに執行された予算の効果測定はしないで、新規増加分のみについて検討されることであろう。おそらく、余程の専門家でさえ、年報や警察庁統計の数値を拾って自分でグラフを作ることは、ほとんどない。財務省側の担当者が勉強するとしても白書しかないであろう。そのことを見越しての記述であると考えられる。
このように、白書には、正しい犯罪状況が的確に描かれておらず、とりわけ全体像を見えなくしており、問題であると言わざるをえない。しかしながら、これをもって陰謀説を唱えるのは、飛躍しすぎである。実は、犯罪白書については、私自身も、法務省内における、そのあり方についての研究会に出席している。私も含めて学者サイドからは、予算効果についてわかるように、そもそも法務省の予算についても資料を出すべきだ、といった要望が出されている。それらの意見が反映されないのは、結局、予算編成のやり方自体を根本的に改めるほうが先であるということにつきるように思われる。警察白書とて、事情は同じであろう。
Friday, August 7, 2009
ひとりよがりな言葉
図書館で借りた本。アマゾンにはないみたいなので原書をリンク。
Q 抽象概念をいつも軽蔑なさっているようですが、どうしてですか?
The Case of Nora
Moshe Feldenkrais
A 名詞はほとんど記号ですね。「椅子」という言葉は単なる記号にすぎず、座るときに使う何百というさまざまの家具のどれかを指しているわけではありません。しかも「椅子」という概念には具体的なものがなにも含まれてはいませんから、それは一つの抽象です。言葉は、主としてあるいはもっぱらコミュニケーションの道具だと認めるかぎりでは、抽象にはなにも悪いところはありません。
たとえば、「定位」とか「無意識」という言葉が考えつかれたとき、それらの言葉はある概念の詳細な説明を短縮し要約するために使われました。しかしながら、ときが経ってしだいに使い慣れてくると、言葉は物に、実在するなにかに変わってきます。「無意識」という言葉は、すでにずっと前からある複合したものを表現しなくなり、一つの物になっています。あなたがなにかを考えたり話したりするとき、それはだれがそうしているのでしょうか? あなたでしょうか、それともあなたの無意識でしょうか? 簡単には答えられません。「あなた」という抽象と「無意識」という抽象のさまざまの違いを明らかにする丹念な作業が必要になります。
だれでも抽象概念を使いますが、「方向」感覚や「平衡」感覚が損なわれたときにどうしたらいいかとなると、途方に暮れてしまいます。運動失調症に陥っている人の平衡感覚を回復するにはどうすればいいのでしょう? 平衡感覚というものは、運動失調症そのものに内在しているのでも、欠落しているのでもありません。その場合には、そもそも最初に運動失調症と平衡感覚という抽象概念の元になった詳しい内容を知ることがもっと具体的になることに役立ちます。要するに、抽象概念は思考を怠惰にし、混乱させるだけです。モーシェ・フェルデンクライス『脳の迷路の冒険 フェルデンクライスの治療の実際』[p.141-142]
Q あなたは全ての抽象概念を人間的事象に関係した抽象概念と同じような態度で見ているのですか?
A そうです。「速度」の例を取り上げましょう。あなたは速度を増やしたり減らしたりできますか? 速度の方向づけというような抽象概念はどうにも扱いようがありません。一体なんの速度を変えるのかを知らなくてはなりません。自転車や自動車の速度を変えることはできますが、光の速度を変えることはできないし、地球や太陽の回転を速めることは不可能です。同様に、概念の方向づけを変えるなんてことは、だれを方向づけるのか、正確にどういう欠点があるのか知らないかぎり、だれにもできません。三半規管に欠陥があるかもしれません。神経系へのフィードバック機能になんらかの欠陥があるかもしれませんし、もっと他のものに欠陥があるかもしれません。使い慣れた言葉は、しばしばひとりよがりに陥れるもので、そういう場合には建設的な思考が妨げられます。同書[p.143-144]
Monday, August 3, 2009
略奪と創造
すなわち、明治維新の指導者たちは、経済発展の要諦は、人民における自主の精神と実用の学問の普及だと認識している。ここで実用の学問とは、儒教批判であり、欧米のプラグマティズムへの評価でもある。欧米列強が黒船で日本に開国を迫ったとき、儒学は何の役にも立たなかった。役に立つ学問を国民に広げ、人々の精神を盛んにすれば富を創造でき、国を富ませば、強兵と国家の独立が可能になると認識している。
コンパクト
日本経済論
原田泰
明治の日本人は、富は自ら創造するものだと認識したのに、昭和初期の日本人は、富は略奪だと認識した。富を略奪であると認識し、しかも、それが欲しいと言えば、戦争をするしかない。近衛が、「英米本意の平和主義を排す」を書き、政治の頂点に上がろうとしたときから、日本が戦争をするのは必然だった。近衛の認識は、倫理的に正しくない上に、事実としても誤っていた。略奪によって富を得ようとすれば、略奪される側も抵抗する。満州事変ではすぐに逃げていた中国軍も、次第に頑強に抵抗するようになってきた。
アメリカの経済的成功の秘訣についての認識は、明治の元勲に共通のものだった。もちろん、戦前昭和にも、石橋湛山のように、富を略奪であると認識することの誤りを指摘していた人々はいた(「大日本主義の幻想」『石橋湛山評論集』岩波文庫,1991年,原論文1921年)。しかし、それは明治のように、権力エリート共通の認識にはならなかった。
戦後の繁栄と平和と自由は、戦前昭和を否定し、富は略奪ではなく創造できると考えたことから始まったことを忘れてはならないだろう(このような議論については、原田(2007)参照)。
原田泰『コンパクト日本経済論』[p.129]
Sunday, August 2, 2009
自信たっぷりに振る舞えば、あなたが何を言っても信じてもらえる(かもしれない)
財政赤字が累積した結果、日本の国・地方を合わせた債務残高は、GDPの170%に及ぶ。このままでは、やがて日本の財政は破綻するという意見がある。日本は国債のディフォルト(債務不履行)を迫られるというのだ。本当にそうなのか? なぜ、そう言えるのだろう?
1997年—
世界を変えた
金融危機
竹森俊平
あるいはこうも言う。いまやアメリカの経常収支の赤字はGDPの7%に及ぼうとしている。これ以上、経常収支の赤字が膨らむと、国際通貨としてのドルの信用は失墜しドル価値は暴落するというのである。本当にそうなのか? なぜ、そう言えるのだろうか?
客観的な事実を述べるならば、戦後において先進国が自国通貨建てで発行した国債のディフォルトをした事例もなければ、ある国の通貨が国際通貨という地位を過剰な経常収支赤字によって喪失したという事例もない。だから、どちらも「不確実性」である。それゆえ、これ以上財政赤字が増えるとディフォルトを余儀なくされるとか、経常収支の赤字が増えるとドル価値が暴落するとか、客観的な確率を提示して経済学的に論証することは不可能である。それにもかかわらず、上のような主張は著名な経済学者によってなされている。「不確実性」についての合理的判断は不可能というナイトの立場からすれば、「ディフォルト」や「通貨信用」についてこれだけ堂々と議論できるというのは眉唾だ。経済学はそこまで強力ではない。竹森俊平『1997年—世界を変えた金融危機』[p.103-104]
Sunday, July 26, 2009
被害者という罪
漢数字をアラビア数字に変えました。
ドイツ語の心理学用語に、Schadenfreudeというのがあります。自分ではなく他人がなにか不利益(Schaden)をこうむったときに、思わず安堵の喜び(Freude)を覚えて困惑することを意味します。自分は無傷なのに20メートルほど離れたところにいた仲間が戦死したという兵士、他の生徒がカンニングしてつかまるのを見ている生徒——彼らはべつに、自分の友人が災難にあうことを願ったわけではないのですが、災難が自分以外の他人にふりかかったことを、とまどいを覚えつつも喜ばずにいられないのです。たとえば、(幼い子を失った:引用者)ロンやヘレンを慰めようとした友人たちも、自分たちの心の中で、「自分がこんな目にあっていたかもしれない」という声を聞くのですが、それを打ち消そうとして、「いや、そうじゃない、これが自分にではなく彼に起こったのには、なにか理由があるんだ」と言うのです。
なぜ私だけが苦しむのか
現代のヨブ記
H.S.クシュナー
被害者に責めを負わせるこのような心理学は、いたるところで見られます。そうすることによって、悪はそれほど不合理なものでも恐ろしいものでもなくなるように思えるのです。もし、ユダヤ人たちの言動が違ったものであったら、ヒトラーは彼らを大量に殺しはしなかったかもしれない。あの若い女性があれほど挑発的な服装をしていなかったら、男は彼女に暴行することはなかった。もっと一生懸命に働いていれば、彼らは貧しくはなかっただろう。もし社会が貧しい人をそそのかすような宣伝や広告をしなかったなら、盗みをはたらく者もいないだろうに。
犠牲者をこのように悪く言うのは、世界は見かけよりも住みやすいのだ、人が苦しむのはそれなりの理由があるのだ、と言って自分自身を安心させるためのひとつの方法なのです。それは、幸運な人たちが、自分たちの成功はたんなるまぐれ当たりではなく、それにふさわしいだけのことをしてきたのだ、と信じる役にも立っています。この考えは、全ての人の気分を良くしてくれるのです——犠牲者を除いて。被害者のほうは、それでなくても不幸な出来事の極みにあるというのに、さらに人から非難を受けるという、二重の苦しみを味わうことになるのです。H.S.クシュナー『なぜ私だけが苦しむのか』[p.57-58]
Thursday, July 23, 2009
人生=日常
My answer is to redefine the question. Not only do we have to be good at waiting, we have to love it. Because waiting is not waiting, it is life. Too many of us live without fully engaging our minds, waiting for that moment when our real lives begin. Years pass in boredom, but that is okay because when our true love comes around, or we discover our real calling, we will begin. Of course the sad truth is that if we are not present to the moment, our true love could come and go and we wouldn't even notice. And we will have become someone other than the you or I who would be able to embrace it. I believe an appreciation for simplicity, the everyday --the ability to dive deeply into the banal and discover life's hidden richness-- is where success, let alone happiness, emerges.
The Art of Learning
Josh Waitzkin
拙訳
(突然大きなチャンスが訪れたらどうすればいいのかという疑問に対して)僕の答えは、質問をよく見直してみる、というものだ。僕たちは待つことが得意にならなきゃいけないだけじゃなく、愛さなくてもいけない。というのも、待つことは待つことじゃなくて、人生だから。僕たちの内の多くの人が、その精神を遊ばせたまま、本当の人生が始まるのを待っている。退屈のうちにいく年も過ぎていくが、それでいい。だって、本当の恋人に巡り会えた時に、あるいは天職を見つけ出した時に、僕たちの人生は始まるのだから。もちろん、残念な真実として、その決定的な瞬間に僕たちが居合わせなければ、生涯のパートナーはただ通り過ぎるだけだし、僕たちも気づくことさえないだろう。そして僕らは、その瞬間をものにした僕やあなたとは、ちがう人物になってしまっているだろう。それでも、僕はシンプリシティ(単純さ)に価値があると信ずる。平凡さのなかに深く潜って人生の隠された豊かさを発見する能力があれば、日常こそが成功とそして当然幸福が、現れる場所になる。
Tuesday, July 21, 2009
イヤな奴
漢数字をアラビア数字に変えました。
クソッタレ=イヤな奴。
クソッタレ=イヤな奴。
感情感染の調査からは、つぎのこともわかっている。話をしている相手が不愉快な表情(顔をしかめるとか、にらみつけるとか)をすると、人はそれに"感染"してしまい、知らず知らず自分自身まで不機嫌で怒りっぽくなる。怒っているような顔をしている人のそばにいると実際に怒りが湧きあがってくるのである。ハットフィールド教授はアラビアのことわざを引用し、こうした感情感染の調査結果を「邪悪な人間とつきあっていると、賢人は愚かになる」と要約した。
あなたの職場のイヤな奴
ロバート・I・サットン
クソッタレは品性を吸いとる掃除機のようなもので、周囲の人間から温かい心と優しさを奪い、軽蔑心と冷酷さを植えつけてしまう。こうした危険に対して、いまは亡きビル・レイジアーは、わたしにこんなアドバイスをしてくれた。ビルはビジネス界で大きな成功をおさめた人物で、引退するまでの20年間、スタンフォード大学でビジネスと起業家精神を教えていた。
「なにか新しい仕事をオファーされたり、うちのチームに参加しないかと声をかけられたときには、将来いっしょに働くことになるかもしれない人たちをじっくり観察することだ」というのがビルの持論だった。
「問題は、たんに彼らが成功しているかどうかだけではない。将来の同僚たちがもし自己中心的で、卑劣で、狭量で、非倫理的だとしたら(もしくは働きすぎで身体を病んでいるとしたら)、きみがそうした人たちや職場の環境を改善できる可能性はほとんどない。たとえそこがほんのちっぽけな会社であったとしてもだ。クソッタレでいっぱいのグループに参加したら、自分もおなじ病気にかかる公算が大きいと思ったほうがいい」ロバート・I・サットン『あなたの職場のイヤな奴』[p.145]
たしかに既得権者に問題はある。しかし…
漢数字をアラビア数字に変えました。
1922年12月5日の銀行研修所での講義において、彼(ケインズ:引用者)は、貨幣賃金は物価よりも硬直的であり、それゆえ、それを急速に大きく修正しようと努めることによって経済均衡を再び達成しようと試みることは無駄であるという考えを展開した。「賃金を一定の水準に切り下げるとか、その種のことで均衡に達することはほとんど絶望的であるか、そうでなくとも長い時間がかかります」(1922-31,p.66 [邦訳68頁])。こうした見解にもかかわらず、彼は、失業の持続が高すぎる実質賃金水準と関係していると考えていた。けれども、いまや彼は、貨幣賃金を切り下げる試みによって失業は減少させることはできないと確信していた。実質賃金の下落は、物価の上昇によってのみ達成することができる。実質賃金との関係において為替相場や物価水準を調整しなくてはならないのであって、その逆ではないのである。
ケインズの闘い
ジル・ドスタレールジル・ドスタレール『ケインズの闘い』[p.421]
Sunday, July 19, 2009
リフレ派の主張ってそんなに珍しいですか?
図は省略です。
マクロ経済学
パーフェクトマスター
伊藤元重・下井直毅
デフレーション
物価が持続的に下がっていく現象をデフレーションといいます。戦後、ほとんどの国でデフレーションの経験はなかったのですが、1990年代の後半から、日本は厳しいデフレーションに陥っています。物価が下がっていくのは、図10-1に示されているように、総需要曲線の左方向へのシフトと、総供給曲線の右方向へのシフトによって起こりえます。前者は消費や投資の低迷などで需要が不足することで物価が下がるケースで、後者は技術革新や低価格品の輸入の増加などで供給が拡大することで物価が下がるケースです。現在の日本では両方の現象が起きていますが、とくに前者の影響が大きいものと考えられます。なぜなら、物価の下落と同時に失業の増大や生産の低迷が起きているからです。
インフレとは逆に、デフレの場合は、債務者が大きな実質負担を被ることになります。1%の物価の下落は、実質債務の1%増を意味するからです。とくに、物価の下落が売上げや所得の減少をもたらし、需要が縮小し、さらにいっそうの物価下落を招くというデフレ・スパイラルがもたらす経済へのマイナスの影響ははかりしれません。そうした状況を打開するために調整インフレという政策が打ち出されることがあります。
《チェックポイント》
調整インフレ(adjustment inflation):金融緩和政策によって貨幣量を増大させ、人々の期待インフレ率を高めて、物価を上昇させていく政策をいう。その手段としては貨幣供給量の増加率やインフレ率の目標を発表し、実現することなどがある。
この政策のメリットとしては、インフレ率の上昇によって実質利子率を低下させ、設備投資や住宅投資を刺激することや期待インフレ率を高めることで株価や地価を上昇させて景気を浮揚させること、また長期的にはインフレによって政府の債務が目減りして財政赤字の問題を解決できるなどがあげられる。しかし、調整インフレについては、そもそも期待インフレ率を高めることができるのかということや、インフレが生じてもそれをコントロールできるのかということなど、その影響や効果など多様な問題を含んでおり、さまざまな議論がある。
伊藤元重・下井直毅『マクロ経済学パーフェクトマスター』[p.155]
ビジネスの要諦
著者である小倉昌男氏はヤマト運輸の二代目社長です。
ところで、私が前に、人事考課における社員の評価基準は、つまるところ「人柄」に行き着くのではないかという話をしたことを覚えておいでだろうか。社員の業績をいかに評価するかということについてさんざん悩み、結局は社長を辞めるまでその問題に答えを出せなかった私の、それが当面の結論である。
「なんでだろう」から
仕事は始まる!
小倉昌男
もちろん、この考え方には異論もあるだろうし、私もそれが「正解」だと思っているわけではない。実際、「人柄」などという目に見えないものを評価しろと言っても、公正な人事考課システムを作ることなどできないだろう。
しかし少なくとも、それを人事考課の対象とするかどうかは別にして、ビジネスをする人間に「人柄」が求められることは間違いない。たしかに職務上のスキルや実行力も大切だし、数字のような目に見える結果を出すことも大事だ。でも、それだけでは本当に人の役に立つビジネスマンとはいえない。
もちろん、業績を伸ばせば「会社」の役には立ったことにはなるだろう。だが、それが必ずしも「社会」の役に立っているとはかぎらないのだ。事実、談合によって仕事を取ってきた人間は、会社の売上げアップには貢献しただろうが、社会の役には立っていない。むしろ迷惑をかけている。
ビジネスマンに「人柄」が求められるのは、とりもなおさず、仕事の根幹が人間関係にあるからだ。社内か社外かを問わず、仕事にはさまざまな人間関係が発生する。
その人間関係を円滑に、つまりお互いが納得できるような形で作れるかどうか。それができることが、「人柄がいい」と言われるための大前提であり、最低条件だと言えるのではないだろうか。そしてある意味で、ビジネスの要諦はそこにあるとさえ言えるだろう。どんなに特別なスキルよりも、その人間関係を作る能力、つまり「人柄」のよさが、ビジネスでは大きな力を発揮するのである。
小倉昌男『「なんでだろう」から仕事は始まる!』[p.133]
Saturday, July 18, 2009
停滞の理由
利子率=金利。
長期不況を解くキーはデフレが将来も続くと考える人々の期待にある。たとえば投資や消費は現在と将来の取引ともいえる。なぜなら新規プロジェクトを立ち上げる際に銀行から資金をファイナンスする際に重要なのは現在の利子率である名目利子率ではなく、その借り入れた利子率が返済までの将来時点でどう変化するかを表した実質利子率である。実質利子率は名目利子率から予想されるインフレ率を退いたものに等しくなる。
経済政策を
歴史に学ぶ
田中秀臣
これは消費のケースでも自動車や住宅を購入するときのローンの返済を念頭に置けばいいだろう。投資でも消費の場合でも、実質利子率が高ければそれだけ返済コストが増えるので投資や消費は低下する。その反対に実質利子率が低ければ返済コストが抑えられ、より多くの消費と投資が可能になる。
日本の長期停滞の特徴であるデフレとゼロ金利の状況を考えてみよう。たとえば目にする名目利子率はゼロであっても、デフレが数%続くと予想すればそれだけ実質利子率は高くなり景気を悪くする。日本の不況がこれほど長く続いたのは人々のデフレ期待が頑固に定着したからである。そしてこの金融市場の不調整が、労働市場の賃金の下方硬直性と衝突すること(既存正社員の交渉力を高めて新卒採用を制限すること)で失業を高めてしまう、というのが大まかな長期不況のシナリオである。
田中秀臣『経済政策を歴史に学ぶ』[p.26]
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